Jan18th

近藤太香巳まとめ

近藤太香巳氏の経歴

近藤太香巳(こんどう たかみ)氏は、1967年に生まれた大阪府出身の実業家で、現在では株式会社ネクシィーズの代表取締役社長を勤めています。

近藤太香巳氏は18歳の時にホームテレホンの訪問販売員として仕事を始め、翌年の19歳の時には早くもホームテレホンの訪問販売業を営む日本電機通信を大阪で創業します。

やがて販売拠点を香川県に移して日本テレックスと社名変更を行い、98年に本社を現在の東京は渋谷に移して、2000年には現社名のネクシィーズとなりました。

2004年には東京証券取引所で一部上場を果たす事になり、当時は37歳の若さの中で上場したため、東証一部に上場した企業の中でも最年少の創業者社長としてニュースでも大きく取り上げられました。

このように近藤太香巳氏の経歴を見る中では一見すると順風満帆のようにも思えるのですが、人物像を見た時には型破りで豪快な人柄である事でも知られています。若い頃は学業になかなか付いていく事ができなかった上に、そもそもの創業のきっかけは18歳でローンを利用して購入した自動車を、わずか17時間で廃車した事がきっかけだったそうです。

しかしこうした型破りな経歴も事業展開する上では有益に働くことになりました。2006年には経済産業省が所管している創業・ベンチャー国民フォーラムより新たなビジネススタイルを手がける優秀な起業家を表彰するJAPAN VENTURE AWARDにおいて経済産業大臣賞を受賞するに至り、これまでの華やかな経歴に新たな1ページを刻みました。

近藤太香巳が考える「本物のベンチャー」とは?

近藤太香巳氏は1987年に新しい発想で会社を立ち上げた経歴があるVBとして成功を収めた象徴となる存在なのですが、現代において氏が考える本物のベンチャーとはどのような物なのでしょうか。

まず近藤太香巳氏はITバブルによりインターネット企業が興隆した移行のバブル崩壊において、世間一般で広がったベンチャーに対する風当たりの厳しさを指摘しています。氏いわく、こうした苦難の時期においても風当りの強さなどは大した話ではないもので、例え世間で大きな逆風が吹いたとしても、それでもなお勝ち続けるのが本物のベンチャーであると語ります。

近藤太香巳氏が経営する株式会社ネクシィーズもこのITバブル崩壊の当時は、そのあおりを受けて大きな苦境に直面する事になったのですが、すぐに苦境を脱して今もなお事業は右肩上がりで堅調に推移しています。

やはりもっとも重要になるのは経営者の意識で、どんな大きな困難を迎えたにしても乗り越えるんだ!といった情熱を持つことが大事であると氏は強調します。経営者が事業に掛ける情熱が強ければ強いほど、その会社はもちろんの事、周囲を含めて多くの人を巻き込む力となるのです。社員や顧客から取引先なども含めてより多くの人を巻き込み、その事業に対して本気でやり抜けようとする熱い情熱を持てばどんな困難でも必ず突破する事ができるわけですから、経営者が信念を持つ事が本物のベンチャーになるためにもっとも大切な条件になるのです。

近藤太香巳が手掛ける「社会貢献ビジネス」

株式会社ネクシィーズの近藤太香巳氏は、元プロ野球選手であり日本代表を始め数々の監督を務めた星野仙一氏と共に、新たな社会貢献ビジネスであるホシノドリームズプロジェクトを旗揚げしました。

ホシノドリームズプロジェクトとは、スポーツの世界で夢と情熱を持ち活躍する若者を支援するための社会貢献ビジネスで、国内と海外の双方で2つのプロジェクトを進行しています。星野仙一氏はホシノドリームズプロジェクトのチェアマンとして近藤太香巳氏と共にプロジェクトを支えており、若者達の将来の夢に向けての新しい社会貢献ビジネスとして賛同を広く集めています。

プログラムでまず一つ目に挙げられるのはドリームサポートプログラムで、若い選手に対してネクシィーズやスポンサー企業と協力する中でサポートを行い、高みを目指してスポーツの夢を追い続ける選手を支援し、世界に挑戦するためのサポートを行なっています。

続いて二つ目に挙げられるのはスポーツビジネスインターンシップで、アメリカのプロスポーツ団体にインターンシップスタッフとして勤める中で、数々のプロスポーツの本場であるアメリカでスポーツビジネスを体験するためのプログラムです。このインターンシップでは野球をメインにアイスホッケーやアメリカンフットボールなどのスポーツに携わります。

こうしたビジネスの最前線は日本ではなかなか体験する事ができないもので、近藤太香巳氏は星野仙一氏と共にスポーツの分野での人材育成に大きく力を注いでいます。